私たちの考え/Our philosophy

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私たちの事務所は住宅をはじめさまざまな建築の設計デザインをおこなっていますが、
デザインを始める際には用途や規模に関わらず、
「美しくあること」「機能的であること」「普遍的であること」の3つを意識しています。
多くの人の目や手に触れられながら長い年月の間、街に存在する建築は、
品のある佇まいに使い勝手がよく、時を経ても古びることなく
自然と街に溶け込んでいる建物であってほしいと考えます。

 

そのような建物を設計するためには身体や動作寸法を常に意識し、
同時に使い手の動きや日常のシーンの積み重ねを出来るだけ多く思い描くことが大切です。
そうすることで「本当に必要なことは何か?」という根本的な軸がぶれることなく、
建築が単なる理論や造形の遊びで終わらない、素直で実体のある確かなものになると信じています。

 

また、私たちは数値で表せない「人の感覚」をとても大事にしています。
光と陰影の密度や空気の流れ、素材のもつ色や質感、季節ごとの匂い……
あるがままの日常を建築によって少しだけ秩序づけすることができれば、
私たちの日常はそんな当たり前のことに気づくことで、より豊かなものになると思います。

 

 

 

We design various types of buildings including residences.
As designing one, we put importance on making it beautiful, functional and universal,
regardless of its purpose or scale.
Since buildings stand in towns for a long period of years looked and touched by lots of people,
we hope they are elegant and easy to use, stand the test of time, and blend together naturally with the town scenery.

 

To design such buildings it is important to be conscious of our body and motion dimensions,
while imaging how people act and what their life are like.
Then, we never forget what the most important thing is and,
the resulting architecture can be simple and substantial.

 

We also believe in ‘human sense,’ which is impossible to measure.
Density of light and shadow, flow of air, texture and color of materials, smell in each season.
If we can tidy up such elements with the aid of architecture, our everyday life should become richer one.

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光 ―空間をつくる―

窓は光や風、景色などを採り入れることのできるものですが、自然光のもつ明るさや温度、色によって空間の印象は大きく変わります。
大きな窓から必要な光量が入ればよいというのではなく、光の操作によってそれぞれの場が魅力的になり、
日々の生活の中で小さな気づきがおこるきっかけを作りたいと考えています。
また住宅の場合は隣家がせまっていたり、人目が気になったりと、
敷地条件によっては都合よく大きな開口を取れないこともあります。
そうした状況も踏まえて、トップライト(天窓)やハイサイドライト(高窓)などを用いて、光の採り入れ方を工夫しています。

建具 ―空間を変える―

自然光の強さや角度は季節によって変化しますが、カーテンやブラインドだけでなく、
障子戸や経木簾戸といった建具によっても適度に調節することができます。
これらの内部建具は建物と一体化し、光を部分的に透過させ和らげることで空間の質を大きく変えてくれます。
また外部建具の種類は主にアルミ製、スチール製、木製があり、状況に合わせて素材を選びます。
既成品でなくオーダーメイドで製作すると寸法や形の自由度が増すので、より意匠性の高い開口部をつくることができます。
中でも、木製の外部建具は外観の印象を柔らかくし、街への表情を豊かにしてくれます。

素材 ―空間を豊かにする―

仕上げ材を考える際には素材の色や手触り、視覚的な質感を大切にしながら、
機能性やコストも同時に検討する必要があります。
全ての部屋に高価な素材を使わなくても、日常的に目につくポイントの素材感をきちんと押さえていくと、
建物の雰囲気がまとまり豊かな空間とすることができます。
また住宅では、強く反射する素材を多用しないこと、自然素材はそのものの色味を活かしてできるだけ着色しないこと、
なども大切にしている点です。

緑 ―暮らしを彩る―

建築にとって植栽の緑は、日々の暮らしに彩りや豊かさをもたらしてくれる欠かせない存在です。
硬い素材でつくられた空間も、緑が入ることで一気に和らぎます。
自然環境の豊かな土地の場合はできるだけその環境を活かすようにデザインし、
逆に都市部の密集した住宅地では、小さなスペースであっても緑を感じられる場所をつくるよう計画します。
室内からの眺めを楽しむほか、ささやかな緑化として街並みを彩るという意味でも植栽を大切にしています。

エッセイ

・「日常の空間と光」 - 『住宅建築』2011年10月号 より
特集 日常の空間と光
『八島正年+八島夕子の住宅』
(建築資料研究社「住宅建築」2010年10月号 no.429より抜粋)八島正年 八島夕子

住まい

 住まいとは何か。住まいに本当に必要なことは何なのか。
 施主と出会い,向き合い、一人ひとりにとって大切なこと、あるいはそれぞれの家族のありかたに思いめぐらせることから、私たちの設計ははじまる。
 はじめに施主の要望を受け止めつつも、それとは裏腹に、本当に望んでいることや必要なことは他にあるのではないかと推しはかってみる。それらをふまえ敷地を読み、スケッチをし、設計をして、投げかけてみる。その投げかけは、すぐにうまく伝わることもあれば,何度も工夫を凝らして投げ続けることもある。そのようなやり取りを続ける中で、こちらの考える、住み手と空間との関係に施主自身がふっと身をゆだねてくれたとき、私たち自身もまた、新たな世界に一緒に踏み出せる予感がする。
 当然、施主は一人ひとり性格も違えば生い立ち、職業や家族構成、嗜好も様々であり、新しい依頼のあるたびにこうしたやり取りを繰り返している。それは時間のかかる作業であり、端から見れば遠回りしているように見えるかもしれない。でも結果的に私たちにとっては、こうすることが一番スムーズであり,気持ちよく設計を進められる気がする。住宅の設計を始める際、まず基本としていることは、動線が混乱せずに使い易いこと、そして生活するうえで十分機能的であること。こうした当たり前のことを検討しつつ、その施主になりきったつもりで生活や動きを想像していく。
 また同時にいつも大事に思っていることは、住まう人が生きていくうえで、そこがいつも戻りたいと思える場所であって欲しいということ。さらに、住まいは休息の場所であったり、守られる場所であったり、何かをつくりだすところ、生み出すところでもある。家族があれば、そのなかで共に暮らしながらその関係を深め、生活を供にすることの喜びを感じられる空間であってほしいと思う。
こうした住まいの空間をより豊かにする要素とは何かと考えると、一口ではなかなか語ることは出来ないのだが、風、たまり、重心、においや記憶,素材、光、陰、色、動線、解放される場、静穏さ、内と外,樹木、太陽と時間の関係,町への意識,ささやかな日常での気付き、等ではないかと思う。
 私たちのつくるものは、これらのことが直接的または間接的に、幾層にも織り込まれるような家でありたいと思っている。

心地よい空間
気持ちを動かす空間

 具体的に居心地の良い場をつくるためには、その場が、家にとってどうあれば最適な空間になるのか、それまでの経験値や様々な知識から検討して、素材や寸法を決定していく。しかし同時に私たちは直感を大切にしている。人の感覚や気持ちに理由などつけられないことが多い、というのもまた事実であるからだ。
 動きのある空間と静かな空間をつくりたい時,その広さや高さの関係はどうあるべきなのか。風や音は抜けていいのか、いけないのか。手触りや明るさは、その場に合った空気をつくっているか。図面上で寸法をあたりながらも、それが気持ち良いのかどうなのかと実際の感覚をイメージして、繰り返し検討する。それらが、施主の日常生活から触発されて確かなものとなることがある。
 一方で、長い間使えるものとしての価値を感じたり,時の流れに左右されないということもまた、空間に一定の安心感を与える。
 居心地の良さというのは,こうした様々な要因の重なりによって生まれる感覚であるから難しく、また楽しいのだ。例えばある空間に彫刻家が魂を込めて造り上げた作品があれば、そのまわりにあたたかな空間が生まれることがある。壁にかかる一枚の絵が,その部屋をほっとさせる力強さややさしさでいっぱいにすることがある。私たちは,建築空間にも同じように人の気持ちや感情に影響を与える力があると信じている。
 職人がはつってざらざらにしたコンクリートの面、木が本来もつ起伏にまで合わせて艶やかに磨き上げられた柱、ゆるやかな曲面を何度も塗り重ね、鏝の跡が重ねられた漆喰壁、そこには計算できない光の反射やゆがみがうまれ、人が時間をかけて作業をして出来た素材のぬくもりが、空間を味わい深く、やわらかくする。そうして出来た空間は、人の心を和ませ、おおらかに包み込み、また生活は豊かになる。
 その空間を生きた場にする素材のひとつに、「光」があると思っている。私たちは、その素材感と光の関係によって、なにか住まいに投げかけられることがあるのではないかと模索をはじめた。

光を捉えるわけ

 私たちの設計のプロセスでは、この「光」の存在を特に大切に考えている。
 建築を設計する際には、通常、太陽や月の光を自然光と呼び、人が生きていくうえで必要な環境の一部として開口を設ける。開口にはもちろん換気や風景を切り取るといった目的もあるが、それとは別に、私たちは自然光それ自体の存在を最低限必要な光を採り入れるという受動的なイメージでなく、さらに能動的に建築的要素として扱う可能性を探りたい。
 光はものを立体的に可視化する働きだけでなく、人が生きていくなかで、自然光が直接的に人間の身体に与える影響は大きい。そして同時に体内へ吸収した自然光の力は間接的に心へと波及し、毎日の精神状態や考え方にまで影響を及ぼしているのではないだろうか。そうであれば、建築空間のつくりかたによって、光の量や強さ、または質を変えることが、内部空間におこる生活動線や行動にきっかけを与えることにつなげられるのではないだろうか。
 そんな期待から私たちは、住宅空間の中での光のあり方にとりくんでいる。

光の性格を読みながら

 建築に自然光を採り入れようとするときには,壁に開口を設け,その大きさや位置で採光の量が決まる。大きく開ければ当然明るいが、例えばその位置が南に向かっていても、開口のすぐ先に隣地の壁などがあれば光は入らず,景色も望めない。しかし、北側の開口であっても隣地の壁を経た反射光が入るのであれば、下の方に地窓を設け,ぼうっとした光を採り入れることができる。そうあることで粛々とした印象を受け、茶室など静かに過ごす空間にとっての採光としてはむしろ最適かもしれない。
 また、開口部から受ける光の多様さは、建具を用いて調節することもできる。居間のように家族や来客が集う場所に面した大きな南側の開口部には、経木簾を仕込んだ戸を閉めることで、昼間の強い直射日光を避けつつ明るい外の風景のシルエットを楽しむことができる。また、障子を用いることで,日光を一瞬にして和らげ,白く籠った空間に変化することも可能である。私たちはこの2種類の建具を天窓に使うこともあり、その場に応じて光の質に変化をもたせている。
 そんなふうに、私たちは住宅を設計するときに、生活の中での一連の動きと光を融合させた時にどんな印象を受け、なにが生まれるのかを常に思いをめぐらせる。
そしてさらに、自然光それ自体の性格や色味を変えることで、住宅空間に動きや場の魅力を生むことはできないだろうかと考える。例えば光自体にもっと色彩があれば、空気もその色に染まる。生活を妨げない程度の淡い色みがあるだけで、その日の天気による自然光の強弱や角度によっても空間の質は様々に変容する。
 早朝には薄く青みのあるさわやかな光の空間で一日のはじまりを整え,すっと一瞬さし込む黄色みがかった光は、空間に活力を与え、午前中の活動を助ける。人が集まる午後には白やオレンジ色の光の重なりと、室内に入り込む樹の木漏れ日が、穏やかな時間の流れをつくってくれるかもしれない。
 生活の中に、さりげなく、色が入り込むということ。それは、固定的なものではなく、一日の時間の流れや気象とともに変容する自然の動きを、視覚化したり、人の生活を流動的にすることを助ける。ここに、これからもさらに展開してゆく可能性の素がたくさんあるような気がしている。(やしままさとし・やしまゆうこ)


・「光りの操作と建具」 - 『住宅建築』2010年5,6月合併号 より

『光りの操作と建具』 八島正年+八島夕子
(建築資料研究社「住宅建築」2010年5.6月合併号 no.421より抜粋)

 住宅における開口部の扱いはとても大事である。それぞれの空間によって、必要となる開口面積が異なるのは当然なのだが、同じ面積でも取付高さ、開閉方式、建具枠、窓枠の扱い、軒の出、障子や経木簾戸等の光量を調節する建具を検討することで、内部と外部の関係は大きく変化する。
 例えば、窓の框の場合、框は無い方が視覚的に内部と外部の漠然とした一体感は感じるものの、四方を枠で囲み、風景をフレーミングするのに比べると、外部の対象をよりはっきりと認識する力は弱くなるように思う。額縁に関しても、内部から見せるか見せないかは框と同様である。
 また、開口の取付位置に関しては、床に取り付いた地窓、もしくは天井からの下がり壁が無く取り付いた高窓は、壁の中央に配置される開口よりもより、意識を外部に向かせてくれる。
 上記の窓と共に、室内の光を調整する機能を持つ建具として、障子や経木簾を使うことが多い。住居の場合には部屋によっては季節毎に必要となる光が異なる場合もあれば、一日の中でも開口や光の種類を調整させたい場合もある。またこれらの建具は、その時々の住み手の心情によっても調整出来ることもメリットとなる。もちろんプライバシーを確保する面でも有効となる。
 事務所では前述のような考えで建具の位置・形状等の大枠を決めるが、開口の高さ等は、住み手の身体寸法や動作寸法、生活習慣、環境に合わせて検討しているので、ディテール寸法は物件毎に異なる。
 ただ、基本的には、住まいの中心となる居間や食堂、キッチンの空間には元々、その敷地の中で風景や、陽当たり、また庭との出入り等条件が良い場所を選ぶことがほとんどで、それに合わせて開口部も風景を採り入れたり、出入りがしやすいように比較的大きく計画することが多い。その場合、外部との意識的な繋がりを重視する事が多く額縁、框共に内部から見えないように計画することが多いが、腰窓の場合は、使い勝手や耐久性を考え下枠のみ残した額縁納りにすることが多い。また開口部が大きくなればなるほど、夏の熱対策、冬の寒さ対策、外部からの視線の問題等のデメリットも解決しなければならず、北側には障子を、南側には障子と経木簾戸を配置するなどして対応している。
 経木簾戸は夏の光を和らげ、日中の外部からの視線対策にも有効であるが、内部照明が点る時間帯には外部から視線が通る為、障子を併用している。障子は視線を遮るほか、柔らかな間接光、断熱にも効果が大きい。
 また、障子の格子割は、室内が大らかな印象を受けるように比較的一般より大割にし、組子も見付が18mm程度を通常の倍ほどの寸法を採っている。


・「モノグラフ 八島正年+八島夕子」- 『新建築 住宅特集』2009年12月号 より

『モノグラフ 八島正年+八島夕子』
(新建築『住宅特集』2009年12月号(284号)より抜粋)作品:辻堂の家 鴨居の家 八島建築設計事務所
対談:中山英之 ディテール:空間の骨格を補強するディテール インタビュー:13の質問

 本特集は建築家に焦点をあてて、複数の作品のほか対談やインタビューを通して、作品と建築家、その思考を幅広く紹介するものです。
 第1回は八島正年さんと八島夕子さん。
 今回掲載する2作品はいずれも既存家屋の隣に建てられた住宅です。「辻堂の家」では、親世帯が新居に住まうという違いはありますが、どちらも建主が熟知した土地の特徴を活かし、継続的な近隣関係が考えられています。シンプルでおおらから空間のあり方の中に、心地よさが慎重に検討され、細やかな素材やディテールに支えられた空間が見て取れます。
 中山英之さんとの対談やおふたりのインタビューには、普段紹介しきれない設計のプロセスや興味の対象まで踏み込んだ内容が掲載されています。中山英之さんが「辻堂の家」を訪ねました。「辻堂の家」に関するお話のほか、設計の進め方、また中山さんの興味は初期の作品にまで及び、おふたりの感覚的な部分を言語化しながら、深層に迫りました。(編)
『スタディの進め方』

中山: ここ(「辻堂の家」)はすごく明るいですね。障子と天井のサラサラした質感が、光をとても椅麗に運んでいます。
八島(正): 障子はおおらかな印象になるように升を大きくしたいので、組子の見付をすべて18mmでつくって、がっちりさせています。最近、天井にはラワン材を使っていて、目が粗くてオイルを塗ってもふわっと優しい感じになるのが気に入っています。
中山: 北側の開口の高さはどうやって決めたのですか。
八島(正):奥様がちょうど覗けることと、建主の要望から敷地境界に塀がなくても、生活するうえで外の人と目線が合わないくらいということで決まっています(1450mm)。
中山: 腰壁の向こうにレストランの駐車場があることも分かりませんね。では、建物全体の高さはどこから決まったのですか。
八島(夕): (北側に隣接する)母屋からの見え方を考慮して、建物北面の高さをどこまで抑えられるか、からでしょうか。ご主人は天井は高いほうがいいとおっしゃっていたので、南側に開放感を取りつつ、抑えた感じにしました。あとは内部から見た感覚でしょうか。
八島(正): 周りの家より高さを抑えながら、プロポーション的なバランスを取ることも考えました。
中山: そうするとスタディは断面図から入るのですか。
八島(正): 最初はイメージです。図面ではなくて「こういう画が見えたらいいな」とか。
中山:そういった段階では、どのような方法でイメージやシーンを書き留めておくのですか。
八島(正):ふたりで話しながら、本当に漠然としたイメージを彼女に伝えると、それを絵として起こしてくれる感じです。
中山:おふたりの作品では、完成した建物を描いたすごくきれいな絵は見たことがあるのですが、途中のスタディも見てみたいですね。夕子さんの絵にどんなことが描かれているのか、とても興味があります。実際の生活でも、ふつう建築の枠組みを意識して空間を見ているわけではありませんよね。おふたりも建主の雰囲気や人柄といった建築の枠組みの外にあることから考えているようなので、それをどのような方法で交換しているのかなと興味をもちました。
八島(正):たとえばこの家では、将来的に母屋の子供世帯とどういう関係をもちたいか、その時にどういう風景が思い浮かぷか、建主夫妻がここでご飯を食べている時にどういう景色が見たいかなど、何となくもやもやしながら話を進めていきました。それから敷地の全体的なヴォリュームの中で、たまりの位置や、玄関にはどれくらい余裕をもたせたらいいのか等々を考えながら、また、ひいて見た時には辻堂の駅のある方向を意識しながら、毎朝どちらへ行くことが多いのかなとか、車はどちらからくるのかといったことを全体でイメージすることで、だいたいのゾーニングが決まっていきます。本当に感覚的にイメージを共有しているんだと思います。今回はわりと天井高さを取っているほうですが、高い空間が絶対的に気持ちいいという感覚はないので、普段はもっと天井高を抑えることが多いですね。
中山:僕が最初におふたりの作品を見たのは「ファンタジアの家」 (本誌9902)でした。ほんの少しだけ掘り下げた地面が、そこが幼稚園ということもあってぴったりだと思いました。小さな体と小さなレベル差が重なると、いつもの雑木林が全然違った場所に見えてきそうです。しかも、そこに大人の寸法が入ってきても、まったく別の世界が同時に共存できるような感じがしました。
八島(夕):以前から、人間や動物が囲まれて安心する場所をつくるというのはどういうことだろう? と考えていたので、空間をグランドレベルより下に埋めることでその感覚を味わうことができると思った時に、それを子供のサイズに落とし込んでいったんです。「藤沢の家」(本誌0905)もその延長上にあって、住まい手がたまたま大人だったから、よりレベルの差がついたということです。数値は結果として出てくるもので、腰のレベルとか、頭のレベルとか、そういう感覚でスケールは決めていますね。
中山:寸法やプロポーションもさることながら、材料の質感や建具の動き、色の効果などは、おふたりにとって大切な要素であるような気がしますが、はじめの段階でイメージを描いたり話したりしている頃から、それらは具体的に登場しているものなのですか?
八島(正):最初の段階ではない気がします。
八島(夕):色なら何色ではなくて、温かい感じ、とかかな。
中山:イメージをもやもやと考えている時にも、たとえば「ここはこの色でないといけないんだ」、というようなとても現実的で具体的なことが突然出てきたりすることが、僕にはけっこうあるのですが。
八島(夕):それほど断定的ではないのですが、母屋はあるけれど、建主夫妻のふたりだけの空間を新たにつくりたい、静かに暮らしたいけど外に出ていくのも好きという、アクティブな夫妻のイメージがあって、おふたりに合う素材は何だろうと考えた時、それが漆喰であったり、マットな質感の木であったり、外壁は周囲に対して距離を置く「黒」じゃなくてもっと友好的な「エンジ」でしょう、という決まり方をしています。最初にふわっと印象付けられたおふたりのことが最後まであったと思います。
中山:素材色だけでつくって、なるべく中立的なものにするのではなくて、自分たちはこうである、ということを周りにきちんと述べる責任感みたいなものが、近隣に対する家族像としてもしっかり示されていると感じました。

『つよさ、やさしさ』

中山:僕も住宅を考える時に、居心地のよさや誰にでも受け入れられる優しさを考えないわけではないけれど、「ファンタジアの家1、2」(2は『新建築』0002)みたいな建築に背中を押されて雨の下に飛び出してみたくなるような、僕はそういうことはとても大切だと思います。テントのような建物で子供たちを育てるわけですから、一般的な意味での守られ方から考えれば、大変な欠落感があります。その大事なものがないということが、ここで時間を過ごす誰かだけでない、もっと幅広い私たちに対する言葉としての、つよさのようなものを感じさせています。同時に、とても丁寧に設計された小さな段差や細部の気配りには、ちょっと念入りすぎるくらいのやさしさがある。この人たちはどっちなのかなと思っていたところで、「ファンタジアの家3」(2001年、プロジェクト)の計画案が出てきた。細長いデッキに屋根だけしかない建物で、寝袋に入って園児が寝泊まりするという。これには本当にわくわくしました。だからなのかもしれませんが、その後に拝見した住宅に、何かを強く抑制しているような印象をどうしてももってしまいます。それは建主の性質にもよるのだとは思いますが、ご自身の中でそういった意識はあるのでしょうか。
八島(夕):確かに建主に投げかけるボールを最初は強めに出してみたけれども、最終的にはそのキャッチボールの過程を経て弱めることはあります。受け止める側にどれくらいの柔軟性があるのかを見極めることが住宅を設計するうえでは特に大事で、相手によって投げるボールの種類も変わっていきます。自分たちのボールをどういうふうに投げるかは、常に考えているけれど、住宅の場合はその辺が難しいところですね。
八島(正):初回の提案は受け入れられないこともあるからね。こちらから考えを提案しても駄目な時は、逆にその話を聞いて、それを僕らなりに解釈して出すこともあります。それで角が取れてしまって、メッセージ性の強くないものになっている可能性はありますが、でも僕はそれもひとつのあり方だと思っています。基本的に住宅は個人の考えとお金でつくるものだから、その人にとって納得のいくものであってほしいと思うんです。
中山:とてもプロフェッショナルだな、という感じがします。そのプロフェッショナルな人のどこかにアマチュアイズムみたいなものが息付いていると、そのプロフェッショナリズムが輝くと思うんです。そのアマチュアイズムみたいなものを、どうしても無意識のうちに探してしまって……。

『大きめの提案に見る建築家像』

中山:「辻堂の家」にもどりますが、南側の開口の必要性を少しだけ超えた大きさが、とてもちょうどよい感じがします。
八島(正):ええ。最終的には向こうの母屋との関係も考えて決めていきました。
八島(夕):その建主に合ったものプラスαで、大きめな提案をすることはよくありますね。
八島(正):それをしないと、その人が生活してきたその範疇を超える面白みが出てきませんから。それが自然にできるといいんですよね。ふと気付くと「あれ?」みたいな。建主が生活していくうちに、範囲がどんどん広がっていって、ここまでしか使っていなかったのに、気が付けばここまで使えるようになっていたとか、そういう発見ができると面白いですね。
中山:その「大きめな提案」が、どのくらい「大きめ」なのかという部分を考えていくと、おふたりのことがよく分かってくる気がします。全解放に暴走するわけではない、だけど身の丈に留まるわけでもない、その間にはさまざまな幅があって、とても八島さんらしい「ここ」というあたりを、今日感じることができました。ありがとうございました。
(2009年10月21日、「辻堂の家」にて)

インタビューでは、おふたりの建築家としての出発点から現在の興味の対象まで、設計のプロセスやスケッチに関するものを含む13の項目から質問しました。八島さんたちの根底にあるものを、感じていただけるでしょうか。(編)

1.おふたりとも東京芸術大学の益子研出身ですが、そこではどんな影響を受けましたか。

八島(夕):本質的なことを大事にするということを教えてもらったんだと思います。
八島(正):本質的なこととは、「建築はこうあるべき」と自己の建築論ありきではなくて、たとえば敷地があったら、普通に考えると風通しや日当たり、そこから見える景色など、どこが気持ちがよくて、どこに重心を置くのがよいのか、そういった基本的なことをきちんとおさえるということです。学生時代につくった「ファンタジアの家」 (本誌9902)もそういった考え方の延長にあります。
八島(夕):当たり前のことなのですが、人間が何を求めて建築を必要とするのかを、先生の描く絵を横で見ながら学んでいきました。ここはこうしなさいとか、そういうことは一切いわない方なので、周りの学生は自由に吸収して出ていく感じでしたね。
− 益子義弘さんとの交流は今もあるのでしょうか。
八島(正):自分たちが設計した建物が雑誌に掲載されると見ていてくれて、コメントを下さいます。「今回のはよかった」とか、「あまり作品化を急がずに、しつかりとした目線でものをつくりなさい」、とか。ですから独立したての頃は見守っていてくれる安心感がありましたね。
− 大学院を出られてから、すぐに独立されていますね。
八島(正):僕は正確にいうと、大学院を出てからすぐに独立したわけではないんです。卒業と同時にゼネコンの設計部に就職したのですが、入社後すぐに「海南の家」 (本誌9902)を設計する話をいただいたので、それを機に独立することにしました。もう時効ですが、大学院に在籍していた時に、研究室に置いてあった益子さんの図面を皆で無断で青焼きして……(笑)。教科書のようにしていたので、図面は誰が見ても分かるのがよい図面で、どれくらいの種類を描けば建築が建つのかといった具体的な構成がイメージできていました。後は実際に住宅をひとつ完成させれば、設計から打ち合わせ、−工事までの流れもつかめるだろうと思って。勢いで独立してしまいました。
八島(夕):その時、私は大学院生で、「海南の家」を一緒に手がけながら卒業して今に至ります。私からすると「それでできるの?」と独立当初は思いましたが、若いうちから、自分のやりたい方向で、自分たちのやり方を見つけながらつくっていったほうがいいという彼の意見には賛成でした。
− 独立してよかった点はどんなことでしょうか。
八島(正):よい意味で誰からも影響を受けていないので、まず何でも自分たちで試してみて、すべてを自分たちなりに判断できたことでしょうか。

2.そうして手探りで拭行錯誤されている過程で、ご自身にとっての転換点はありましたか。

八島(正):彼女(八島夕子)の画をはじめて見た時、彼女の描く水彩画の色のもつ深みが、僕は建築にすごく近いものに思えました。当時はコンクリートの無機質な建築が多くて、色彩豊かに表現していくことに触れて建築観が変わったと思います。ですから、僕にとっての最初の転換点は彼女と設計し始めた時ですね。
八島(夕):私がまだ学生の時のことです。八島は自分の描く空間や建築観、自分がつくっていきたいものに、私の描くものをプラスしていきたいと。面白いものができそうな気がして、巻き込まれるように建築の世界に入っていきました。

3.先日の中山さんとの対談でも話題に上りましたが、おふたりにとってのスケッチとは何でしょうか。

八島(正):自分の考えを確認するものであり、テンションを高める意味も大きいです。
八島(夕):私もそうです。私はスケッチを、「自分の頭の中にあることを自分の目で見たい」という欲求で描いています。それを見て、何となく形になった状態をイメージし、具体的な形をどうするかという話に進んでいきます。それからプランに落とし込んで、寸法が決まってくる。今度はそれを建主に伝えるために、またスケッチを描く。この段階は、図面で表現していることを実際の目線から見るとどうなるかを伝えるための絵なので、最初のスケッチとは意味が違いますね。

4.今、おふたりにとって住宅をつくる時にもっとも興味のあるテーマは何でしょうか。

八島(正):住宅の場合だと、当たり前のことなのですが、やはり建主の生活です。個人のお金で、個人の住む家をつくるのですから、前提としては要望に添ったものでありたいとは思います。ただ、建築家に設計を依頼するのですから、建主の想像できる範囲で設計が終わってしまってはもったいないと思います。だから、建主と話し合いながらそれまでの生活から一歩広がりをもたせる、プラスαの可能性や余白を提案します。最近はそのひとつとして、照明や自然光の、光のあり方の提案をしています。
八島(夕):光にはもっと可能性があると思っていて、まだまだ私たちはそれを活かしきれていないと思っています。
八島(正):光量を取るための器具を見せないよう、天井にダウンライトを付けなかったり、明かりの欲しいところにはその空間にあった照明器具自体の姿も考慮したりしています。また自然光に対しては、経木や障子の設えもそのひとつです。いずれの場合も、もう一歩踏み込んで空間がより豊かになるような、でも、演出的でない、生活空間のその場所その場所にあった色味のある光を落としたいと考えています。同じ空間でも、見え方が変わると意識が変わることがあると思うので。
− 強い光を落としたり柔らかい光をまわすのは受け入れられやすいと思いますが、色味には好みがありますね。
八島(正):ええ。だからはっきりとした色ではなくて、かなり淡くてついているかついていないか分からないくらいの色で、何となく時間や天気によって変化する、透明水彩でなでたような光がすっと落ちてくるのが理想です。それには光を受ける側の素材も重要だと思います。
八島(タ):色のついた光が落ちてきた時、その中の空間に入るとどんな感じなのかをスケッチでも試行錯誤しているところです。
− どうして色を意識するようになったのですか。
八島(正):日本には色味を感じる建物があまりないから(笑)。でも色味に対する提案ももっとするべきだと思いますし、素材や質感で空間をつくることをしばらくやってきたので、次のステップとしてそこに色味を入れてみたいのです。ただ、色がない時間もありたいので、そうすると空間に単純に色を塗るのではなくて、すっと現れて消えるような色味のあり方を追求しています。
− 光はどのようにスタディするのですか。
八島(正):模型と、あとは現場にストックをもち込んで検討します。使えそうだと思う素材はとりあえず試します。障子や経木は素材だけではなくプロポーションの試行錯誤も繰り返したりしながらです。

5.建て主の要望プラスαとなる提案は、空間の操作より素材を重視されますか。

八島(正):基本は空間だと思います。素材は空間をつくる要素のひとつですから素材が最優先されるということはありませんね。ただ空間の操作といっても、結局色がない時間が欲しいのと同じで、段差のように具体的に身体を使うとすぐ分かってしまうものではなくて、光や風の抜けのような、季節によって分かったり分からなかったりする繊細なものがいいですね。
八島(夕):建築にいつも動かされるような空間は、住まいとしてはしんどくなってしまうのではないかと思います。人がニュートラルでいられる場所であってほしいし、その中で何かふっと気付く場所があるといいですね。後は建主が住まいと一緒に成長していく余白が建築にどれくらいあるかによりますね。

6.住宅以外で挑戦したいものはありますか。

八島(正):何でもやってみたいです。どんな建物でも、僕たちがべ−スとしてもっている、人ありきのスタンスは変わらないので、大きい小さいは気にしてはいないですね。ただ実際、住宅の仕事が多いので、しつかりできるようにしようと思っています。

7.しっかりつくるという意味で、八島さんたちの住宅は開口部のディテールに空間全休を支える美しさがあると思います。その辺の意鼓はいかがでしょうか。

八島(正):ディテール自体が大事なわけではなく、「辻堂の家」だったら大屋根があって、それを支えるコアが左右にふたつあって、その間を風が抜けていくという骨格が大事なんです。空間の質を高めるために、今回は光を調整する開口部のディテールを考えましたが、それは骨格を補強するものです。それから重要なのは動線や配置ですね。それらを補強するためのディテールも見えてはこないけど考えています。あくまでもディテールはその空間がよりよくなるための、要素の一部分だと思っています。

8.スタディはスケッチをしながら進められるとのことでしたが、その後の仕事の進め方はどうされていますか。

八島(正):最初は役割分担をせず、取っかかりはエスキースというよりも、もっとざっくりと、建主について話します。日常的な行動、夫婦のやり取りや子供との関係、職業、趣味や収集物など、どんな人なんだろう? と。それから周辺環境、敷地に建主を当てはめた時に見えてくる情景を話し合い、彼女がスケッチとして視覚化していきます。そうして描かれたイメージをさらに確認するために、僕は模型をつくったり手を動かします。ある程度全体像が見えてきたら再度二人で見せ合って、最終的にはスケッチ上でイメージをひとつにまとめていきます。そこまでできてから、実際の設計へとエスキースが始まります。ここからはスタッフを交えてさらにイメージを膨らませます。実施設計はメインをどちらかに決めて、スタッフと今度は図面上で具体的な寸法の調整を行い、イメージを補強、固定する作業になります。そうして骨格から見えてほしいラインだけになるよう、足し引きを繰り返すうちにディテールが洗練されていくんだと思います。

9.デザインの見え方として気になるところはどういうところでしょうか。

八島(正):たとえば建物の外観は、建主の第二の顔となるように思うので大事かな。
八島(夕):愛嬌というか柔らかさがあって、人が入ってみたくなるような表情をしているといいなと思います。そういう表情をした土着の民家などは、印象に残っていたりしますよね。受け入れ、親しまれる要素は、人が住む場所として大事だなと思います。
八島(正):ですから表面に見えてくる素材や開口の取り方は迷いますね。そういう表情をつくるには、内側の機能性と外側からの見え方のバランスを少しずらしてもいいかなと考えています。内部自体もピシッとしすぎていてこちらが構えてしまう空間よりは、ほんの少しくだけているくらいがいいですね。

10.気候や環境的な配点について考えることはありますか?

八島(正):最近は、寒さより暑さ対策をどうするかが気になります。高気密高断熱もいいのですが、関東圏だと夏の風をどう抜くかが重要だと思います。さまざまな設備も環境に対して、なるべくロスのないようにはしたいと思いますが、まずは、できるだけ設備に頼らないように設計で対応したいですね。
八島(夕):以前バリに行った時、ただ屋根が架かっているだけの快適な場所を体験しました。そんな体験をすると、アルミサッシで内と外を完全に分けてしまうのではなく、気候に合わせてサッシを消してしまえるような方法はないかなと思います。「辻堂の家」のように引き込んでしまえるのもひとつの方法ですが、もっとシンプルな構造で気候をコントロールするバリ工−ションが増やせるといいのですが……。

11.建築を考える場所(時間)は事務所のほかにもありますか。

八島(正):いつも考えています、好きですから(笑)。たまたま入ったカフェの内装もそうですし、目の前にある筆記用具やカップなどのフォルム、手が触れた素材など何でも確認してデザインのプロセスを考えてしまうので。設計に限っていえば車を運転している時や、電車に乗っている時が多いでしょうか。
八島(夕):私も電車の中ですね。それから、アイデアは寝る間際に浮かぷことも多くて、いちばん集中できる時間でもあります。

12.もし建築家になっていなかったら何になっていたと患いますか。

八島(正):僕はパティシエです(笑)。当時はそんな洒落た言葉はなかったので「ケーキ屋さん」ですが。甘いものが好きで、物づくりになりたかったので。ケーキは手頃な値段でいろんな人に楽しんでもらえますから今でも素敵な仕事だと思っています。
八島(夕):私は、特にこれというのはないのですが、何か表現する人になりたいとは思っていました。

13・最後の質問ですが、生活の中でもっとも大切にされているのは何でしょうか。

八島(夕):気持ちのよい空間で、気の合う人と楽しい話をしながら、おいしいものを食べて、その時々を楽しく過ごすことがやっぱり大事でしょう。
八島(正):竣工した物件でも、毎日そう思って貰えているといいんですけどね(笑)。
(2009年10月22日、八島建築設計事務所にて。文責:本誌(新建築住宅特集)編集部)


・「暈絢(うんげん)する居場所」- 『住宅建築』2009年9月号 より

『八島正年+八島夕子の住宅』
(建築資料研究社「住宅建築」2009年9月号 no.413より抜粋)

暈絢(うんげん)する居場所
 水彩の彩色手法に、〈暈絢〉 という手法がある。
 同じ色を濃から淡へ、淡から濾へと層をなすように繰り返すこの手法は、八島建築設計事務所の空間を彷彿とさせる。わずかに凹凸のある紙に水を張り、水を含ませた筆で色を置き、さらに境界を滲ませ、異なる色が混じり合い、濃淡がつき、一枚の画が生み出されるプロセスは、彼らが建築をつくるにあたり、さまざまな要素を吟味し、光と形に置き換える作業にも似ている。機能や与条件で割り切られる空間とは趣きを異にする、内側から滲み出てくる詩性を孕む居場所のすがたを、規模・構造形式の異なる三軒の住宅から詠む。
『生活という水絵』 樫対芙実

 八島さんたちは、住まい手の生活を設計の第一に据え、その先に気持ちのいい空間があるという考えをもって住宅と向き合っています。けれど、現代人の生活に物申す、といった熱い思いがあるわけではなく、どこかの流れを強く継承しているわけでもなく、社会も歴史もわりとひいて見ているところがあって、それが彼らをちょっと不思議な位置に立たせているように思います。

 その不思議さは、彼らが絵を描くということと深く関係しているようです。最初に不思議な感じを抱いたのは、吉村順三展(2005)の会場構成で彼らの仕事ぶりを見たときでした。それまでの作品からイメージしていたのは、細部に至るまで時間をかけて寸法を決定し、全体のバランスを整え、立ち止まり、戻って、そうして決定された図面にのっとり進められる、やや現代的でないゆっくりとした試行錯誤でした。けれど、その時に目にしたスピード感のある決定作業は、想像していた律儀さとはずいぶん違うのです。聞けば、決して少なくない量の仕事を同時に抱えてもいるようでした。
 イメージを伝えるために、誰もが図面や模型や言葉を駆使するけれど、彼らの場合はそこに「絵」があり、そのことが、何かを大きく変えているのだと思います。ふたりが共有する「抽象的なイメージ」 は、その言葉の持つ、もやっとした感じとは異なって、かなりくっきりとみえるようなのです。それは、水彩画の筆を持つ時のビジョンに似てかなりクリアであり、そのビジョンに寄りかかって、最初の一筆を置き、濃淡の曖昧さの度合いを決め、終わりの一筆を決める。描き手の頭の中に描かれるべきイメージは、非常に鮮明でなければなりません。けれど、たった一枚でもその空間を描くことができれば、すべてのものが、その全体像に 「合うか合わないか」、彼らの目に明白なものとなるのです。
 読み込まなければならない多くのことを、彼らはある位置でひとつにすることができる。そんな行為が苦もなく成り立っているように見えるのは、彼らのこの特異な共有の仕方にあるのではないかと思います。敷地の読み解きも生活の想像も、すべてが一貫して論理的に行われることはなく、筋道立った思考も感覚的な印象も、すべてひっくるめて彼らの頭のなかに蓄積され、あくまでも具体的な生活空間としてイメージされて、一枚でいい、絵が描ける、それをもって決着としているようです。一方で、ビジョンさえ見えていれば、ちょっとおかしな色を選んでも、難なく馴染んでしまう懐の広さも水彩画は持ち合わせていて、その魅力を一言で表現することはできません。こうしてちょっと強引に彼らの姿勢にだぶらせてみると、「水彩画」という技法の性格も、彼らの不思議な感じを助長する一つなのかもしれないと思います。

 八島さんたちの住宅は、感覚的な余白がごく普通の生活空間と共にあることが一番の魅力です。彼らはあくまでも住み手の生活を第一に考えていて、詩的あるいは絵画的にみえる要素がまず目に留まったとしても、そのために生活空間を犠牲にしているわけではありません。普通の住宅らしからぬ姿は、むしろそれぞれの生活にあった空間を考え抜いた結果出てきたものである、ということが彼らの住宅建築の面白さであり、毎回違った形があらわれても、彼らにしてみれば当然の結果なのです。いくつかの住宅が産みだされる場に同席して感じたのは、今回はこんな建物になった、という毎度違う結末を彼ら自身が楽しんでいるということでした。
 生活を考えるという行為は、彼らにとって 「住み手になりきる」 ことのようです。そこに設計者と施主という距離はなく、あくまでも自分たちの生活として想像しているように思います。その生活がリアルであればあるほど、彼らの頭の中でよりスムースに消化され、空間といっしょくたになってぽこっとうみだされるのです。だから彼らは、そんなにもと思うほど積極的に施主の生活を理解しょうとするのだと思います。それは、彼らが処女作であるファンタジアの家(本誌00年8月号)から一貫してやってきたことであり、あのとき既に、使い手である子どもの目線で彼らはその建築を作り、語っていました。
 敷地との出会いも彼らが大切にしていることの一つです。既にそこにある空間的な拠りどころを探して、場所に潜む心地よさを発見し、そこに具体的な生活が成り立つ為にはどのような建築的要素が必要なのかを考える。敷地と生活の間をつなぐもの、またときには敷地と生活を切り離すもの。ふたつが共存するために、その関係をサポートする壁や床のありようが検討されるのです。それは彼らが学生の頃から持ち続けているまなざしであり、今も同じように純粋に、あるいは知識と経験が増した分だけ学生のときよりも自由に、場所の魅力を発見しにいそいそと出かけて行っているように見えます。
 彼らにとって壁はあくまでも壁であり、窓はあくまでも窓であり、そこに何か意味を持たせることはありません。彼らの絵や完成した住宅の空間がいくら抽象的にみえたとしても、彼らの建築言語になにかしらの意味を持たせようとするのは単なる取り越し苦労のようです。新しい建築をうみだそうとしているのではなく、まだ見たことのない空間を建築として設計する、それが彼らの姿勢です。

 温かさや牧歌的なものからは距離を置き、また、静認な美しさや崇高とか高貴といったひんやりとしたものも避けて、ちょっとした重さや厚みをもって愛らしさを足す。彼らが守っているものは柔らかくて曖昧なのに、その姿勢は非常に強固で、まわりとはちょっと距離を置き、都会的でとても現代的な建築家とも感じられます。けれど、いま都市に住むのなら、そんな空間が一番居心地がいいのかもしれないと思ってしまうあたりが、八島さんたちの思うつぼなのかもしれません。
 時代が時代なら、彼らも声を大にして生活の質を謳った口かもしれないけれど、そんな想像もまた取り越し苦労のようにも思えます。彼らは決して無口ではないけれど、どこか明言を避け、決定的な物言いもするのだけれど、言葉に重みはもたせない。そのようにして、これからも彼らが本当にいいと思うものだけを作っていくのだと思います。
かしむら・ふみ/建築家


・「子どもの視線で子どもの建築」- 『TOTO通信』2008年新春号 より

「子どもの視線で子どもの建築」TOTO通信 2008年新春号 特集 空間キッズサイズ
「子どもの視線で子どもの建築」(インタビューまとめ:大山直美) より抜粋

−今回のテーマは「子どもの空間」です。患者の立場に立った病院が依然少ないのと同様に、幼稚園や保育園も大人の都合を優先させたものがまだまだ多い気がします。つくる側が子どもになりきれないから、子どもの寸法がわからない。そういう意味で、この「ファンタジアの家」は園長と設計者がともに子どもの視点に立ち、子どものスケールで建築を考えた、まれな例ではないかと思います。

八島正年  この計画には最初に設計した「ファンタジアの家1」(1995)と約5年後に手がけた「ファンタジアの家2」(99)があって「1」のほうは僕がまだ大学院生だった頃に頼まれた仕事なんです。だから物の値段が全然わかっていなくて、地下の部分を掘ってコンクリートで固めたら予算がなくなっちゃって、しばらく工事が止まってしまいました(笑)。

−まだ独立も結婚もなさっていない時期ですね。

正年  ええ。でも彼女との付き合いは古いので(笑)、「1」も手伝ってもらったかな?

八島夕子 そうですね、「1」も少しは手伝って、「2」は一緒に設計しました。

正年 ちなみに「ファンタジアの家」は僕たちが命名したわけではなく、もともとついていた施設の名前です 。

−今日は園長先生にもお話をうかがいたかったのですが……。

正年 とても静かな方なので、ご自分が表に出ることはいっさいないですね。でも、保育に関しては大変な情熱をおもちで、僕とはいくらかの年齢の差があって話しやすいこともあるのか、今でも園に行くと結局は一緒に飲むことになって(笑)、話が止まらないんです。

保育の風景から読み取ってほしい

−そもそも、設計することになったきっかけは何でしょう。

正年 1990年に「湘南サーフ90」というイベントのための海の家を設計するというコンペがあって、僕の案が実施案に選ばれたんですが、それを園長先生が見て気に入ってくださったみたいです。それと、そのとき僕がたまたま新聞のインタビューで賞金の使い道を聞かれて、当時20数万円ぐらいした「フランク・ロイド・ライトの全集を買います」とコメントしたのを読んでいたらしいのです。園長先生は建築に造詣が深く、藤沢市民会館前に移築された遠藤新設計の 「旧近藤邸」の保存運動にもかかわった方だということを後で知りました。

−確かに遠藤新とライトとくれば、これは直線で結びつきますね(笑)。元の園舎はどんなものだったのですか。

正年 園舎といってもちゃんとした建物があるわけではなくて、園長先生が自宅の庭先にインディアンのティピという、内部で火を焚ける円錐形のテントを建てて、そこで保育をしていました。つまり、テントが園舎だったんです。だけどテントはすぐに駄目になるし、入れる人数も限られるし、もっと主屋の家族の生活ときちんと分けたいこともあって、プレイルームのようなものをつくりたいということでした。たぶん自然の砂浜に軽い屋根をかけるという、僕が考えた海の家のコンペ案がちょうどいいと思ったのだと思います。というのも、敷地は200坪ぐらいある砂地で、雑木林のように木がたくさん生えていて、子どもたちは雨の日以外はほとんど外で過ごしているんです。みんなでパンをこねて焚き火で焼いたり、敷地内の木の実をつぶして絵の具をつくって絵を描いたり、近所の海に行って砂山をつくったり……。園内には玩具なんて何もないんです。

−ユニークな保育をしているところですね。トイレはどうされているのですか。

正年 子どもたちは園長先生の自宅のを使っていましたが、男の子は時には隠れて敷地内の戸外で……(笑)。

−おおらかな雰囲気ですね(笑)。


・「別荘の今日」- 『新建築 住宅特集』2007年10月号 より

「別荘の今日」八島正年+八島夕子
(新建築『住宅特集』2007年10月号 (258号) より抜粋)

 都市部で生活をしていると,自然を感じる環境に身を置きたくなることがあるのは, なぜだろう.好奇心にあふれていた子供の頃は,山や森の中に入れば,木の実をとったり,虫を捕 まえたり,新鮮で楽しいことばかりだった.それが,大人になるにつれ,好奇心というよりはむしろ落ち着いてただゆっくりと自然の中に居たい,と思うことが多くなってきた.時代の波にもまれながら,狭い都市 部に集まって便利な日常を淡々と送る中, その生活に対するいくらかの疑問と,仕事の煩雑さやしがらみを一掃してしまいたくなる気持ちがそう思わせるのだろうか.いかに便利な世の中になっても,自然とともに暮らすことが,本来人間として当たり前の姿なのかもしれない.新鮮な空気や緑の中にひととき居れば,素の自分に還ることができるような気がする.

 しかし,年々,温暖化による気象の変化が激しくなってゆき,どこの自然もいつまでも変わらずにそこにあるとも限らなくなってきた事実も目の当たりにしている.これからは,住む環境も自分で選んでいく時代なのではないかという意見を耳にする昨今,これまで以上に,避暑地のように快適な場所を求め続けることになるのかもしれない.

 今現在,「避暑地」と呼ばれている場所の中でも,もっとも歴史があり,いまだ人気が高いという軽井沢は,もともとはただの宿場町であった.明治維新のころ,たまた ま通った外国人の宣教師がはじめてその森の美しさと過ごしやすさに魅了されて別荘を建て,外国の友人たちを招いたことが きっかけで,教会や集会所など人びとが集まる場所も建設され,国際的な村になっていった.以来,そのスタイルに憧れた華族の洋館別荘が増え,明治,大正,昭和初期 までは,ある一部の特権階級,あるいは文化人たちの,高級別荘地として確立されてきたという.

 この頃のリゾート地とは,一般人にはほとんど縁のない世界だったが,戦後の高度成 長期には,箱根,伊豆,那須,八ヶ岳などさまざまな場所でもリゾート開発が進 み,個人で別荘をもてるようになってきた.インフラもまだ今ほどは整ってはおらず,建物と敷地の維持管理を考えれば,持ち主のそれなりの覚悟と財力が必要だったろうが,住宅の空間にも欧米的な文化と日本的な文化の融合が取り入れられるようになり,休暇を取って家族と暖炉のある別荘で過ごす,というのはその頃のステイタスだった.

 住宅の新しいあり方を模索していた建築家のひとり,吉村順三氏設計の「軽井沢の 山荘(本誌9809,『新建築』7208,『JA』59,他)」が建てられたのもこの頃で,氏の事務所の設計活動が住宅を中心に,オフィスビル, ホテル,大学と幅広く進行していた,一番忙しかった頃ではないかと思う.自身の家族と過ごすために,時には友人,事務所員 たちを呼び,夏はほとんど山荘で過ごされていたと聞く.軽井沢がまだ静かで落ち着 いた町だった頃だろう.私は,建築を学びはじめたばかりの大学生のころ,友人たちと夏休みにこの山荘の場所を探し,近づいて見たときのことは今でもよく覚えている.車の通る道から森の中をしばらくなだらかに上りながら歩き,ほんとうにこんなところにあるのかな,などと不安に思いながら,森の奥の方を少し見上げたとき,その緑の合間のさらに遠くに,ちらっと姿が見えたのだった.森の中に浮かんでいるように,見え隠れしていた.2 階のリビングルームの部分だ.あ,なんてやさしい…… と思った.広い森の中に,とても小さく, おどろくほどささやかに存在していたその姿を,とても「やさしい」と感じた.その場所から少し迂回するように細い坂を上って建物のほうに近づいてみると,ふわっと開ける瞬間があり,建物の回りには,人を迎えている空間が,ぽっかりと空いていた. そのときは,勝手に訪ねたので,もちろん中に入ることはできなかったけれど,遠くからはるばるやってきて,やっと到着した者を迎える,というアプローチの役割の大切さを,そこで教えてもらった.その時に たまたま静養で滞在されていらした吉村夫 妻が,勝手にやって来た学生らを怒るわけでもなく,建物の回りでよかったらどうぞ, と見学を許可していただけたことが,ほんとうにうれしく,しばらくゆっくりと近くから,遠くからと森と建物の回りを見せていただいた.あとで知ったのだが,見えていた周りの森のかなりの部分が敷地だというから,氏が,その小さな山荘のために, 周囲の環境をいかに大切に思われていたかを伺える.

 それからバブル期を経て,今ではずいぶんと様子が変わってきているようだ.しばらくは企業が所有していた広大な土地建物も,近年では解体・切り売りされ,分譲されている.地価は高騰していたバブル期と 比べて手の届きやすい価格になり,きれいに区画された分譲地も出回っている.今では新幹線も開通し,東京から 1 時間あまりで軽井沢に着くようになり,都心の仕事場まで新幹線通勤ということも珍しくなくなってきた.軽井沢だけではない.最近では,幹線道路の建設に伴って,丸の内・有楽町など首都圏中心部に仕事場をもち,平日はマンションで生活をし,週末ごとに郊外の別荘で土日を過ごすという生活スタイルも増えているという.仕事帰りに夜遅く別荘に到着し,翌朝ゆっくりと緑の中で目 覚め,休日を森の中で過ごすという生活が 想像できる.別荘の購入層も,以前は50 ~ 60 代が多かったが,最近では 30 ~ 40 代世代が, 若いうちは週末に訪れるセカンドハウスとして使い,リタイア後はそこで永住をする, ということを想定して建てるという考え方が主流のようだ.別荘地が身近になった分,今までのように,避暑のために長期滞在するのがステイタスというのではなく,日常的な生活スタイルの一部として考えられている.ただ,都会での便利でお洒落な生活を,そのまま別荘地にも持ち込んでしまう傾向にはとても残念に思う.かつての会員制のゴルフリゾートのような倶楽部に代わって,コミュニティ型別荘地などでは,分譲区域 内のオーナーへ,驚くほど親切な,ホテルのようなサービスがある.除雪や落葉の清掃はもちろん,ケータリングサービス,洗車までしてくれるという.車を走らせれば,大手電気量販店や大型スーパー,アウトレットショップなどの集積するショッピングエリアもあれば,おいしいイタリアンレストランなんかもあり,都心と何ら変わりない.便利になったことは喜ばしいことだし,住宅地のように小割りで分かれているから,都心と同じように隣家の視線を気にしながら生活しなくてはならなくても,逆に言えば安心に思うのかもしれない.

 ただ,切り売りされた別荘地は都心の分譲地よりも少し広いとはいえ,そこには都心と大して変わらないメーカの別荘風住宅が建ち並ぶ光景には正直あきれてしまう.しかし,せめて森のある環境に住もうと思うのであれば,便利に使おう,あるいはかっこよく暮らしたい,と思う前に,「何のためにここに住むのか?」ということをもう一度問い直して欲しいと思う.また,その場所が避暑地としてなぜ心地よいのか過ごしやすいのかをほんとうの意味で理解し, その意味を空間に呼応するようにより丁寧につくっていく必要があるのではないか.「自然とともにあることが感じられる,質素で気持ちのよい空間であること」.吉村順三氏が,山荘を設計するときに求めたのはそれだけだ,と本に記してあったのを思い出す.都会のせわしい日常生活から離れ, わざわざ遠くまで足を運ぶほど価値のある場所を選ぶのであれば,その環境をどうとらえられるかを問うことこそが,ほんとうに寛ぐことのできる空間をつくる大きな要素なのだと思う.


・「小住宅の醍醐味 ― 近作訪問から見えてくる手法とは」 - 『住宅建築』2007年4月号 より

「小住宅の醍醐味 ―近作訪問から見えてくる手法とは」 インタビュー:八島正年+八島夕子×永田昌民氏
(建築資料研究社『住宅建築』2007年4月号 (no.384)「特集:永田昌民のデザイン思想」 より抜粋)

八島正 僕たちが永田さんの住宅を知ったのは、『住宅建築』94年6月号の特集です。当時は、構造や素材からロジックを解いていくテクニカルなアプローチが多かったのですが、そんな風潮の中、永田さんの住宅はある意味、衝撃的でした。それは、写真を見て、人が動き回るシーンを想像できたということ。当時は大学院生だったから、建築を造ったことなどあるはずもなく、いわば素人のようなものでした。けれどもそんな自分にも、一枚の写真を見ていると、ここで料理がつくられて、ここにお皿を置いて、食事が終ったらあそこに座って暖炉に火をくべるのかな……ここから景色を見るんだろうな……と、生活が鮮やかにイメージできたんです。そんな当たり前のことが、当たり前にこちらに伝わってくる。それがショッキングでした。
八島夕 一般的に80年代、90年代に雑誌で取り上げられていた建築は、生活が想像しづらく、本当に気持ちいいのだろうかと疑問を抱くことが多々ありましたが、永田さんの住宅の写真からは、気持ちの良い空気が伝わってきた。そして、なんできれいにみえるんだろうって思って後ろの頁を見たら、たくさんスケッチが書いてあって、色々なことを考えているんだというのが分かって。文章もすごく分かりやすくて、建築家はこうあるべきだという大上段に構えた像があるのではなく、住まいはこういうものなんだよ、ということを素直にひとつひとつ伝えてくれている。そういう言葉がすごく嬉しくて、共感できたんです。
八島正 この94年の号で掲載された「白金台の家」はバブルの余韻が残っている頃です。時代の潮流というのは傍目に見ているという感じだったんでしょうか?
永田 疑問を持ってはいたんですが、潮流の中で手がけた住宅にはわりと大きいものが多かった。斜めの線が出てくるとスペースってどうなるのかなということを一生懸命考えたり、ディテールにおけるいくつかの試みも、この頃は旺盛にやっていました。
八島夕 初めて設計した「熱海の家」や「東久留米の家」の時から、流行りにあまり左右されずに、人ありきの建築という考えがあったんですか?
永田 そうでもなかったですよ。青臭かったです。でもいつの間にかこうなったというか。堀部安嗣さんにも聞かれて、“何となく”と答えたら、そんないい加減なことでいいのかって言われましたけれどね。僕の学生時代は建築雑誌も少なかったので、今ほどメディアの影響に左右されることはなかった。受けた影響といえば、やはり芸大時代の先生だった吉村順三だと思います。“気持ちのいい場所というのはどういうことか”と、授業で聞いたその言葉が頭に残っていて、それが知らず知らずのうちにベースになっていたんです。
八島夕 よくお話を聞いたんですか?
永田 授業以外の接触はほとんどなかったのですが、ある時、もの怖じしないで研究室を訪ねると、色々と話をしてくださった。他の学生はおっかなくていかなかったようですけれども。また先生の自邸や、建築科の旅行で軽井沢の山荘などは見ていましたから、無意識のうちに影響があったんだと思います。
八島正 印象に残っている話は、例えばどのようなことですか。
永田 “天井は低い方がいいんだよ”とか、“開くべきところは開くんだよ”とか、“照明はやっぱり下がいいんだよね”というような、今にして思えばやっぱり、ああそういうことなのかなっていうことが記憶に残っています。設計の仕事を始めた時も、事務所勤めの経験がなかったから、最初はとにかく物真似をして、言われたことがどういうことなのか、自分で試してみた。そのうち、人の手に触れる金物のようなものはけちってはダメだとか、自分で分かってきたこともあって。そのようなことがアトランダムに見え始め、住宅という総体として繋がったんでしょうね。
八島正 住まい手にとってこっちの方が気持ちがいいだろうということを繰り返し問われていたんですね。
永田 結果としてはそういえますね。
~品川の家を訪問して~

八島夕 今回、実際にいくつかの小住宅を見せて頂いた訳ですが、建主さんと永田さんとの関係というのも見ることができて、人ありきなんだな、ということを感じました。建主さんから、永田さんに「家をもつということは、5年、10年先の人生や、家族のこともきちんと考えなくてはいけないよ。」ということから教わったという話を聞いて、これなんだなって思ったんです。
八島正 地域との関わりに対する永田さんの考えも見られたような気がします。「品川の家」は、町工場が建ち並ぶ中、小さな間口の家が並ぶ路地に建っています。実際に訪ねてみて、あっと思ったのは、周りの風景にとけ込んでいたんですよ。普通に考えたら数年前に建った建物が廻りにとけ込むというのはすごく難しい状況だと思うんですよね。前も後ろも大きい建物だし。この住宅は、永田さんにしては珍しく外壁がガルバリウムなんですが、ふと隣家を見ると、同じ色のガルバの波板が張ってある。あの場所ならではの素材選びだと思いました。あの場所は普通の住宅地と違ってすごく私道が狭く、隣近所とうまくやっていかないと生活できる場所じゃない。前の住宅に比べると、如何に周りと手をとっていくかというのがよく現れている住宅だなと思って。
永田 ガルバリウムを使ったのはこの時が初めてでした。密集地なので不燃材にしようと考えたのですが、どうしても固い印象を与えてしまうので、木塀を組みあわせた。溶け込んで見えたのは、木塀や、2階のベランダがあったからじゃないかな。全部ガルバリウムだったら、違和感があると思う。
八島正 また、実際に見て驚いたのは、あの家のスケール感です。15坪の敷地に9坪の建坪なので、プランで見ている分には物理的に狭いわけです。しかし中に入って2階に上がると、広いと感じたほど。あれは見ないとわからない。
永田 もちろん狭いということもあるんだけど、建て込んだ土地で特に南面は前に4階建の建物が迫っていたので、どうやって明るさを確保するかを最初から考えていました。だから居間のソファ側に小さな吹抜けをつくり、作為的に感じさせないトップライトで光を落とした。壁面がぼんやりと淡く照らされるのを見て、結構いいなとは思いました。
八島夕 光が拡散されているんですよね。直射日光がすっと射し込むトップライトではなく、光が溜まる、ふわりとした明るさ。
八島正 その光が溜まっている、ダイニングのソファがある場所は、すごい場所ですね。ソファを置くのは最初から計画されていたんですか?
永田 ソファを置くとすれば、あの位置かなとは考えていました。
八島正 後ろは白い壁が控えていて安心感があるし、光は上から落ちてくるし、かつ誰が階段を昇ってきたかなど全体を把握できるし、視線もテラスへと抜けていく。プランをつくる時、永田さんが相当歩き回って、ここではこういう動作があるだろうというエスキスを練られたんだなと思いました。それと、あの物理的な小ささにも関わらず狭さを感じさせないというのは、空間の構成要素に割り振られた、スケールもあると思うんです。例えば2階居間の障子。あの大きな割付は、居室面積に対して普通じゃない。けれども、小さな割付にすると、かえって部屋はせせこましく見えてしまうんでしょうね。大きなテーブルにしても、そうです。建主さんの手持ちとのことですが、普通はもっと小さいものを提案したくなる。けれども、小さい空間に大きなテーブルがあることで、かえってゆったりして見える。部屋が小さいから小さくしましょうという考えではないんですね。永田さんの中での守るべきスケール感などはあるんですか?
永田 スケール感といえるのかどうかはわかりませんが、僕なりの寸法はもっています。吉村先生の言葉ですが、“寸法っていうのは大事なんだよ”ってよく言われました。芸大に入った時、三角スケールが教材でついてくるんですが、それはほとんど使わず、皆、原寸で計れる竹の物差を使っていた。結局、寸法というのは原寸ですからね。
八島夕 ちょくちょく寸法を確認する癖がついているんですか?
永田 そうです。ちょっとどうかなって迷う時、スケールをもってきて計ってみて、座った時の具合はどうだとかを検討する。例えば小さな家では丸テーブルをよく使うんですが、ただテーブルが入ればいいというわけではなく、物をもって周りを歩いてもぶつからない寸法はミニマムでこれだな、これならなんとかいけそうだという決定をしています。
八島夕 そういう決定をする時は、ひとつひとつ動いて確認しているんですか。
永田 そうです。見た時の具合はどうだとかね。もう少し小さくしても大丈夫そうだとかね。住まいにはそういう場所がいっぱいあるわけですから。特に小さい家ではね
八島夕 品川の家のキッチンの壁の高さは絶妙だと思いました。確か、1200を切っているんですよね。あの小さなスペースでは、キッチンの存在はどうしても気になってしまうんですが、圧迫感なく視線が抜けるし、少々キッチンを散らかしても隠してくれる高さです。
八島正 やっぱり細かい操作の積み重ねが、あの部屋を窮屈に陥らないようにしているんですね。居間からロフトへ昇る階段も、段板の後ろが側板の傾斜に沿ってカットされているから、側板から段板が飛びだしていない。これみよがしのディテールではないけれども、部屋の空気をつくる操作をされている。2階の窓でも、枠を白にして消そうとしているところもあれば、枠を出しているところもある。あの辺りの判断というのはどうされているのですか?
永田 建物を構成する要素って結構あるんですね。僕はできるだけその要素を単純化したいと思っています。枠を消そうとするのもその一環です。でも消そうとすると枠と壁のジョイントでヒビが入ることが多い。ペンキ屋さんと相談して、ジョイント部に絹や木綿のテープを使ったり和紙を使ったりしたこともあったけど、物理的に難しかった。だからよく開けたてする小窓は枠を出すことが多く、大きな窓はすっとガラスだけが見えるように枠を消して、と強引にやっているところがあります。漆喰で試したこともあったけれども、どうしてもヒビが入ってしまう確立が多いですね。一般的にはやらない方がいいのかとも思うけれども、建主で枠なしの方がいいという人には、一言ヒビが入るかもしれませんよと言って、枠なしでやっています。
八島正 面白かったのは、リビングのソファに座っていた時のこと。障子が閉まっているとまろやかな空間になるんだけれども、障子が開いている場合は、視線が張りだしている木の塀まで届くから、意識として空間が広がる。だから実際には、そこまで広くなくても、常に自分の領域は、窓を越えた先のところまであるわけで、そのソファから木塀の距離というのは決して狭くはないんですよね。
八島夕 視線の抜けというのは、設計の初期段階から自然に考えているんですか?
永田 そうですね、敷地を見に行った時に、視線を抜くのはこっちかな、入口はここかな、少し隙間がここにあればいいな、というおおよその検討はつけています。また、ここから木が見えればいいなとか、植えるなら何の木がいいかなど、イメージは浮かびますね。設計のプロセスで迷った場合は、また計画敷地に戻って確認したりしてね。そういう行き来は結構しています。

~山王の家を訪問して~

八島正 “抜け”というキーワードは、「山王の家」でもよく現れていたと思います。ミニ開発された袋小路の突き当たりで、普通に建てたら家の中で空気が流れずに詰まってしまうような感覚のある敷地です。正面ファサードにカーポートをとりつつ、ファサードからその奥にある里山のような庭への小さな抜けをつくっている。面白いのは、「山王の家」の建主さんのためというよりも、近所に住んでいる人皆のために空気を抜いている印象を受けました。
永田 そこらへんは最初から無意識に考えているみたいですね。僕は、家へのアプローチをどう考えるかは大事なことだと思っています。外からアプローチを見ると、自分の家に帰ってきたんだな、という気持ちになるように。
八島正 一階リビングの奥にも小さな窓があったり、キッチンには勝手口があって、小さいけれども、きちんと緑が見えていた。
永田 やはり窓から見えるものが、建物や塀だけでは無味乾燥でしょう。ふっとした時に、緑が見えればいいんじゃないかと思うんです。
八島正 それとL字型平面に挟まれた、野趣ある庭。1階リビングにいても、スキップフロアの書斎にいても、2階寝室にいても、あの庭に視線が収斂するから、さまざまな角度から少しずつひとつの庭が見えてくる。
永田 どんなに条件が厳しいところだって、方法はあるんだろうという気はします。密集していても、建物と建物との間に空が見えたらそこに抜けをつくってやればいい。窓は、風や光を入れることはもちろん、そうした視覚的機能をもっているわけですからね。
八島夕 「品川の家」のロフトのトップライトも、空しか見えないけれども、周りを高い建物に囲まれてしまっているあの敷地にあって唯一遠くを見られる窓なんですよね。「品川の家」も「山王の家」も、町中だから決してきれいな景色が広がっているわけではない。けれども逆に、宅地開発された後だから、しばらくの間はよほど変なことにはならない保証された景色でもある。開口部をどこにつくるかは、一見そっけなくやっているようで、実は非常に練られているのが、実際に見学して初めて分かりました。結構座ってじっと見てしまったんですよね。ところで開口部のバランス量は、空間のボリュームから考えていくんですか?
永田 平面というのが僕にとっては大事で、平面図を見ながら、ここならすっと抜ける、ここは狭い方がいいといった具合にやっています。
八島正 永田さんは平面派なんですね。確かに、家具の配置も練られていて、模様替えはイメージできなかった。
永田 家具って難しいと思うんです。それほど広くない家でどう置くか、必ずどこかアルコーブをつくって、後ろに壁をつくりたくなりますね。そうすると何となく安心感がある。
八島夕 永田さんの家具配置は、たいてい壁に寄り添うようなかたちですよね。寄り添いたい壁……精神的に欲しい壁というのはありますよね。
永田 僕の場合、開ける時は思い切ってあけますが、結果としては壁面の量が部屋に対して7割ぐらいあるんですね。それは絵をかけるとかだけではなく、適切に配置された壁は安心感をもたらすのではないかという思いがあります。論理的にということではなく、どうも“無意識の意識”で壁や開口をつくっているんですね。ここはこっちに小さく開けようとか、ここはもうちょっと広げた方がいいな、とか、ここで天井を少し下げてみてもいいな、という風にね。たとえば、連続し広く見せるには、開口部は天井いっぱいまであるほうがいいと思っているので、木建の限度ぎりぎりの寸法で天井高を決めることが多いです。

~所沢の家~

八島夕 低い天井といえば、「所沢の家」の家も、ぐっと低く感じました。あの家はテラスの開口から、居室奥のソファベッドまでの距離が深いから、いっそう天井が低く感じるのかもしれませんが。あのソファベッドの奥深い位置は、意識的に“溜まり”を奥につくる意図があったのですか?
永田 小さな家なので、最初は引戸で仕切れる寝室のスペースとして考えていたのですが。住まい手は広い居間のスペースとしても機能するよう、ソファベッドを置かれて生活されているのが奥行きを生んでいるのではないでしょうか。建主さんの前の暮らしぶりを拝見したら、自分たちでキッチンを直されたりしていたので、この人達なら自ら何かを生みだすんではないかと思いました。逆に建主によっては、その住まい方を見ることで、家具の配置などは決め込んでおこうと考える場合もありますけど。
八島正 でもなかなか珍しいですよね。リビングに対して間口の方が狭くて、奥行きの方が深いというのは。
永田 そうかもしれませんが、僕は基本的にはできるだけ“引き”をとった方がいいと思っています。何故なら様々な意味で、スペースに奥行きと明暗を生みだしますからね。家を建てたいので土地を探していますという人から相談を受ける時は、「陽が燦々と当たるという理由で東西に長く南北に短い敷地が好まれるけれども、それが必ずしもいいわけではないんですよ、奥行きがあった方が、住まいとしては多様になりますよ」と助言しています。
八島夕 確かに明るさは大事だけれど、暗いところがあった方が落ち着くというのはありますよね。
永田 そうなんです。籠れる場所がないというのも、ストレスがたまるだろうし。確かに南側に吹抜けをとってトップライトや前面を開放すると、陽が燦々と入ってくる。けれども人間、24時間同じ気分でいるわけではないですからね。
八島正 「所沢の家」は、奥行きがあり、“引き”をとった構成ですが、これは居室が“引き”をとっているだけでなく、あの家自体が町に対して、“引き”を持っているんですよね。実際に行った時は、随分遠くから家が分かったんですが、「あ、こんなに控えめなんだ」という印象でした。それは、あの家が町に対して引きをもっていて、なおかつ低いからだと思うんです。けれどももし、コンクリートの力強い1階があり、2階もその力強い印象のまま立ち上がっていると、町に対して圧迫感が出てしまう。そこを菜園でセットバックしているから、あの場所だけが何か広がりをもっている。あれがいいな、と思いました。
八島夕 2階が1階にちょこんと、しかもずれて載っている。
八島正 あの断面、微笑ましいですよね(笑)。
八島夕 あの断面は、永田さんの町に対しする考え方がすごく出ていると思う。自分はささやかでもいいから、周りと一緒に住んでいくという考え方。これは「馬込の家」にも見られますよね。

~馬込の家を訪問して~

八島夕 「馬込の家」は、庭の一部に傾斜をつけて、登り庭をつくっています。一応、目透かしの板塀でプロテクトしているけれども、あまり囲い過ぎていないから、登り庭がそのまま通りまで繋がっていきそうな印象がありました。
八島正 「馬込の家」も、建物を思いきり敷地の奥に下げていますよね。あれも……。
永田 そう、やっぱり“引き”なんです。
八島正 町に対しての“引き”ですね。
永田 建主さんによっては、建蔽率いっぱいに建ててくれればいいのに、と言う人もいるけれども、どんどん引いて小さくして。結果的には満足していただいていますね。
八島夕 この住宅も、明暗の差がありますよね。1階のリビング・ダイニングは明るいけれども、籠もって過ごしたい時には地下の書斎に行くんでしょうね。
永田 あの家は御夫婦二人だから、もともと静かにお住まいなんですが、一般的にいっても、逃げられるところがあるといいですね。
八島正 いわゆる普通のファサードってどういうものかはっきりと分かりませんが、「馬込の家」のファサードはてらいのない普通の意匠ですよね。外観のデザインは、プランニングと同じように、いつの間にか決まっていくものなんですか?
永田 立面をそんなに考えていないんじゃないかって、よくいわれますが、僕自身はそんなつもりはないんですよね。ただ、見せるファサードというよりも、部屋内を中心にして考えているのは確かです。
八島正 「馬込の家」では、1階と2階で庇を揃えて出していたり、開口と開口でバルコニーのラインを揃えている。
永田 やっぱり、のっぺらぼうというのはなんかね。影というようなものが、あった方がいいでしょう。
八島夕 水平ラインをいつもどこかで気にされているんだなという印象を受けました。
永田 そうですね、水平という意識はありますね。庇がない家もいくつかやったけど、やっぱり雨が漏りやすし、時間が経つとみすぼらしく見えてしまうこともあるので、多少なりとも庇は必要でしょうね。
八島夕 「馬込の家」でもそうですが、外と内との繋がりの際をすっきりさせて繋げていきたいという時には、戸袋をつくって、全部壁の中に納めてしまうんですか。
永田 そうしていますね。メインの庭に面するところは、大抵そうしています。全部引き込むことは一年のうちに何回もないんですが、がらりと印象が変わるでしょう。室内にしても、仕上げの素材はできるだけ少なく、壁天井は同色にするとかで納めることが多いです。だから竣工時は、白っぽいだけで何とも素っ気ないと思われますが、いずれ物がおさまればその印象も変わります。家具をどういう風に扱うかは住まい手によりますが、ここに置いて欲しいという壁は用意します。いずれにしても、住みこなすことで家はかわっていきますから。
八島夕 壁の色は、たいてい白ですよね。
永田 白では汚れが目立つので、最初はうすいベージュだったんです。夜になって灯をつけた時、床板のハレーションで壁が赤味がかるのを目のあたりにして白でいいんではないかと思ったんです。漆喰を使ってみて気づいたんですが、真っ白ではないんです、ほんの少しグレーがかっている。それに合うよう塗装の色も真っ白ではなく少し黒を入れた白にしています。そうすると夜の灯りに対して程よく調和するんです。
八島夕 今回見学した家では、絨毯とフローリングがありましたが、どう使い分けているのですか。
永田 建主の好みにもよりますね。ただ木造の場合は、2階を絨毯にしておくと、音の響きが少なくなります。もうひとつは、木の床に寝ころぶというのは硬いということもありますが抵抗があるみたいです。「東久留米の家」の居間は絨毯敷きでしたから、「下里の家」に引っ越すにあたりフローリングにしてみようかと思ったら、家族から総スカンをくらってしまった。皆、絨毯の上でごろごろするのに慣れていたし、人が集まった時、ソファに掛けずに床に直に座りだし親密な空気をつくるのに適した経験もありました。空間のトーンとしても、絨毯の方が柔らかくなりますね。木は絨毯に比べると、固い印象を与えるでしょう。白い壁に対してはメリハリが効くので、寝室などの床・天井は板張りでいいかもしれない。ただやはり線が気になってしまい、その処理にいつも悩みます。
八島正 線は消したくなりますか。
永田 「東久留米の家」をお借りして住んでいた時に思ったのですが、この家は内外ともコンクリート打ち放しでディテールらしいディテールがなかったんです。建具の木枠もコンクリートの欠きこみに納めるという単純なものなので壁と開口部の見え方がすっきりしている。そのことがきっかけで木造の家でもできないかなと思って木枠と壁面をゾロに納めて線を消すことに挑戦したんですがなかなかうまくいかない、木枠と壁材のジョイントにヒビが入ってしまう。木の収縮を考えてみれば当然の結果ということになるのですが、よく理解してなかったんですね。今は無理やりに線を消すということではなく使う材料の性質を考慮した納まりをするよう心がけてはいるのですが。
でも、余分な線を消してできるかぎり単純化したいとの思いはまだ燻っています。
八島夕 けれども納まりとして、天井でもラワンベニヤの目透かしのラインを建具の位置に合わせたり、枠との取合いをフラットに納めてきれいに見せるということは、当り前のこととしてされているんですよね。
永田 経験のつみかさねの結果としてはそうです。これまで凝ったことも色々やったけれど、最近は自己満足だけでディテールにこだわることはないようにしています。それは全体をつくるためにディテールは存在しているという位置づけからです。

~下里の家を訪問して~

八島正 今回、ここ数年に手がけられた住宅を見せて頂きましたが、やはり近年特徴的なのは、周辺に対する考え方ではないでしょうか。外構計画も、建物を一方に寄せて空いたところに植栽を施し、周辺に対して開いていく。自邸・「下里の家」も、旗竿敷地の竿に相当するあれだけの距離を緑で埋め尽くしている。
永田 区画割りの都合で、旗竿敷地を選択せざるを得ない場合が、これから増えてくると思うんです。旗竿は敬遠されがちだけれども、こうした植物の世界をつくることで変わっていくと思います。
八島正 素敵ですよね。普通の感覚だと、駐車料代がかかるから旗竿の前に車を置いてしまうけれども、「下里の家」ではアプローチを緑で覆うために、車は近くに駐車場を借りているんですね。また奥様が、前に住まわれていた「東久留米の家」の植物を全部もっていけるんだったら引越ししてもいいとおっしゃっていたのも、素敵だな、と思いました。
永田 30×30cm角厚さ6cm程度を単位として、「東久留米の家」の表土を移しました。木は大きすぎて無理だったから、ヤマボウシだけ持ってきて、あとは新しく植えました。
八島正 「下里の家」のように敷地面積が限られた場合でも緑を周辺に提供して、こうした住宅が集まっていつか街となればいいですね。
永田 そうですね。
八島正 初期の住宅よりも、近年それがものすごく顕著になってきていると思うんです。永田さんの70年代~90年代ぐらいの建物だと、街に対して一旦閉じて、家の内側で開くケースが多いですよね。庭もどちらかというと見るための庭というのが多かった気がする。敷地の中で完結している初期の住宅があり、それから内部が全部白くなったり、ディテールに試行錯誤した時代を経て、90年代後半くらいからすっと変わってきたような気がします。ディテールもこれはやらなくていい、これはやった方がいいというのが整理され、淘汰されたノウハウ全てが近年の小住宅につぎ込まれているのではないでしょうか。
八島夕 プランも変わってきていると思います。より、人中心になっているというか、人の動きを考えると、近年の方がずっと使いやすい気がします。例えば前の建物だと1階から入って、2階の奥にキッチンがあると、買い物袋を運ぶのが結構大変だな、という住宅もありました。その辺の心境の変化というのはあったんですか?
永田 やはり小さな家において、物とぶつからずに動ける動線というのは、大きな課題ですね。水廻りの配置や形状が、動線から決まってくることもあります。
八島夕 プランの変化と同じくファサードのデザインや、外構計画も変わってきていると思います。拝見した近作に共通するのは、道路からずるずるっと引き込まれるように入っていくアプローチ。居室から外を見ても、植栽や目透かしの板塀越しに、通りがすっと見え隠れする繋がりが感じられる。以前の住宅をあらためて誌面で見てみると、シルエットを綺麗に見せようという考えがあったのかな、とも思いました。
永田 もちろん以前に比べて小さい敷地が多くなってきたということはあるけれども、住まいを内輪だけのものにとどめず、外との関係をどうするか、ということを強く考えるようになってきています。「東久留米の家」で、引っ越した当時には人の丈程度だった木が20数年で8mを越し、建築のいびつなところを影にして消してくれることや、誰が植えたか分からない蔦で全面的に覆われることで、植物が風景を変えることに、気づいたからでしょう。最近は掃除が面倒だから、植物なんか嫌という人も多くなってきているけれど、木が一本立っていると、その周辺のランドマークにもなる。やはり僕は、こういうことがすごく大きいことだと思っています。家が壊されてなくなっても気がつかないけれども、大きな木がなくなれば皆、気づく。植物って、そういうものなんですよ。建物を建てる時は、例え邪魔でも元にあった植栽を残しながらつくるのが、設計じゃないのかな。植物というのも、季節ごとの植栽の見え方という話だけではなく、トカゲや昆虫、小動物を含めた世界が住まいと共に在るのがいいと思っています。
八島夕 以前、永田さんは“住まいは刺激的でない方がいい”ということをお書きになりましたが、今回見せて頂いて、永田さんの家は刺激的ではないかもしれないけれど、身近にある植物から季節が感じられて、毎日新鮮な何かを見つけられる家なんだろうなと思いました。自分たちよりも若い人たちの作品を雑誌で見ると、季節感を感じられなかったり、生活感がなくどうやって住むのか想像できないことがある。人の存在が忘れられているような気がします。
八島正 すごく奇麗なものをつくっているんだけど、5年後10年後が想像しにくいものが多いよね。僕たちよりもっと若い人たちって、そうした家に普通に住めてしまうのかな。けれどもそうした人たちも、いずれは年を取るんですよね。
永田 刺激的でなければ反応ができなくなってきているというのはあるよね。普通を良しとする余裕がない。そんな時代に、建築ができることって何なんだろうね。例えばそれは、一本の木を植えてみませんかと提案した時に、「ああ、いいですね」って答えが返ってくれば、それはある意味、成功したと思うんです。基本的に、緑が嫌いという人はいないと思うんだよね。
八島正 人間の感覚ってそんなに変わらないと思うんですよ。だから何が気持ちいいかということについても変わることはないと思う。ただ建主さんは、僕たちみたいにずっと建築を考えているわけではないから、目に入る新しい刺激に魅かれて、変わらないものの良さになかなか気がつかないのかもしれません。
永田 例えば一昔前は、外で食事をするというのはすごく贅沢なことだったけれども、今は、家で食べずに外に食べにいくよね。けれども人間、一生外食で生きていけるのか、という基本的なことがあるでしょう。“刺激がない方がいい”、というのも、今は家の外にたくさん刺激があるから。だからこそ、家の中は刺激がなく穏やかな居場所であればいい思っています。
八島夕 そうですね。それに住まいって、専門家が見てああだこうだと言うよりも、普通の人が自然に分かることが一番大事ですよね。普通の人が普通に理解できて、頭ではなくて体で感じ取れるというのは素敵なことですよね。けれどもそれは、すごく難しいことだとも思うんです。普通の人が普通に理解するには、あらゆることを先回りして何もないところから想像して造っていかなければならない。それが、設計者の仕事なのかなという気がします。
八島正 最後に、永田さんの住宅への姿勢はどんどん町や地域へと広がってきていますが、人がたくさん集まってくるような公共の大きな建築は造られないんですか? 多分、永田さんがそうした不特定多数の人のための建物を造ったら、今、雑誌に取り上げられているような建物と全然違うと思うんです。
永田 皆から言われているんですけどね。なんでやらないんだって。
八島夕 それは、すごく見たいですね。今回拝見した住宅の流れからしても、街に開いていく建築が自然に出てくる気がするんです。永田さんご自身も、その延長に人を中心にした大きな建物を予感されているのではないでしょうか。
永田 つい最近、ランドスケープデザイナーとの共同で、岩手県の遠野に“人と馬と自然”というテーマのもとに「馬付住宅」という施設をつくりました。
おおらかで楽しい経験をさせてもらいました。住宅という世界にとどまらず、“人と緑と建物”が共存する施設をやってみたいとも思っていますので、もう少し頑張ります。

私たちはスケッチを描きます。
設計の始まり、実施設計の途中でも、現場が竣工した後でも、手を動かしてイメージをつくる作業をします。
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手の力を借りながら空間のイメージを増幅させます。
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